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横浜地方裁判所小田原支部 昭和31年(モ)157号 判決 1959年4月30日

債権者 伊豆箱根鉄道株式会社

債務者 箱根登山鉄道株式会社

主文

債権者において、保証として債務者のため金一千万円、またはこれに相当する有価証券を供託することを条件として、

当裁判所が債権者・債務者間の昭和三十一年(ヨ)第三三号一般乗合旅客自動車運行禁止仮処分命令申請事件につき、昭和三十一年七月六日なした仮処分決定はこれを認可する。

訴訟費用は債務者の負担とする。

事実

第一、債権者の主張

(申立)

債権者訴訟代理人は

「当裁判所が債権者・債務者間の昭和三十一年(ヨ)第三三号一般乗合旅客自動車運行禁止仮処分命令申請事件につき、昭和三十一年七月六日なした仮処分決定はこれを認可する。

訴訟費用は債務者の負担とする。」

旨の判決を求め、その理由として次の通り陳述した。

(理由)

一、神奈川県足柄下郡温泉村底倉字小涌谷四九三番地から早雲山を経て同郡元箱根村旧札場一一〇番の三四地先に至る九・六粁の自動車専用道路(別紙図面の点線部分)は、債権者会社が十数年の歳月と莫大な費用を投じて建設した自動車道であり、債権者会社は昭和十年十二月右道路完成と同時に私有一般自動車道による自動車道事業と定期バス事業の免許を得てその営業を開始しこれを維持してきたが、債務者会社は債権者会社の同意了解も得ないで突然昭和二十五年三月十三日運輸省に対し債権者会社が苦心して建設した右自動車道に対し一般乗合旅客自動車による運送事業、すなわち定期バス事業の免許を申請し、当時の運輸省自動車局長牛島辰弥と同局監理課長磯崎勉の両名は同月十六日債権者会社に対し前記自動車道並びに同道路上における債権者会社の免許路線を債務者会社の定期バス運輸事業に開放せよ、そして両会社はこれがための乗入運輸協定を締結すべきである、もしこの協定締結の勧告に応じなければ、私有道路であつても法の解釈上可能であるから右自動車道に対する債務者会社のバス路線免許申請を認可する旨の強い意向を告げ、右協定に応ずるよう債権者会社を強要した。しかし債権者会社はそのようなことは憲法によつて保障せられた私有財産の明白な侵害であるからその勧告は思い止められたい、むしろ、かえつていわれなき債務者会社の前記バス路線免許申請を取り下げるよう勧告して貰いたい、前記自動車道においては債務者会社のバス運輸事業を待つまでもなく債権者会社のバス運輸事業が久しい以前から実施されており現になんら旅客公衆に対し迷惑不便等を与えていないから債務者会社の重複バス運輸事業の必要は少しもない。そもそも定期バス事業については運輸省の方針として従前から一路線一営業主義が強く採用されてきており、戦後道路運送法の制定で多少これが緩和され、一会社の営業のみでは旅客に不便を与えるとか、その他必要性、合理性、緊急性等の特殊事情の存する場合にのみ、ある会社の既免許路線上に他社の免許申請が道路運送審議会並びに運輸審議会の意見答申等種々の手続を経て厳格な規制のもとに認容されるべきものであり、しかもそれは国府県等のいわゆる天下の公道においてなされるもので、私有道路における他社のバス路線免許申請については当然同道路所有者の同意のない限り絶対に免許せらるべき筋合のものでない。既に公道においてすら当該道路管理者の意見は法律上尊重されている。まして私有自動車道の場合においては道路所有者の意見が尊重されなければならないのは理の当然である等の理由を具陳して種々解明と嘆願に努めた。しかし前記牛島局長らは毫もこれに耳を傾けようとはせず、かえつて右勧告に応じなければ債権者会社は将来種々の点で不利益を被らしめられるに至るだろうとまで告げ、またその際磯崎課長は債権者会社がもし乗入運輸協定に応ずるならば債務者会社に相当の通行料を支払わせ、路線乗入の権利金も適当に支払わせるし、乗入運輸協定の期間は一ケ年更新とし、債権者会社の自主性を尊重しその他債権者会社の提出する条件も充分考慮する、乗入運輸協定が実施せられた暁は債権者会社としては月間の自動車道通行料金約四十万円のほか、債務者会社の定期バスが早雲山方面から湖尻に輸送してきた乗客は湖尻で債権者会社の船舶に乗船し、その船賃収入として月間約三十万円以上の収益がある旨話し、極力右乗入運輸協定の締結方を迫つた。しかし債権者会社は、前記自動車道は前述したとおり債権者会社が大正末以来多年に亘り労苦と巨大な資本を投じて建設した貴重な財であり、かつこれが維持にも多年言語に絶する苦心を傾けてきたところであるばかりでなく、同道路上に運営するバス事業も久しい間赤字輸送の負担に耐えて箱根観光および産業の開発に努力し、近年漸くいわゆる経済路線として辛じて収支を償う状態となつたに過ぎず、また右路線においては債権者会社のバス運輸業の運営によつて十二分に旅客輸送の使命を達成し、いささかも旅客に不便を与えていない実情等を重ねて話し、再三、再四に亘り牛島局長らの勧告ないし要請を拒絶し、債務者会社のいわれなき路線免許申請の取り下げ方を勧誘するよう要望した。しかるに右牛島局長らは債権者会社の右要望を無視して正規の手続も経ないで突如債務者会社の前記免許申請を同月三十一日に開催される関東道路運送審議会の公聴会に上程しようとした。そこで債権者会社ではこのまま放置しておいたのでは今後牛島局長らはどのようなことをしでかすかも知れないと考え、同年三月二十八日債権者会社の総務課長大場朋世、東京駐在員山本広治の両名を運輸省に派遣し、前記牛島局長磯崎監理課長らに対し債権者会社に乗入運輸協定に応ずる用意のあることを申し出で、次いでさきに磯崎課長が債権者会社に話した事項を確約してもらえるかどうかを確かめ、更に右確約事項を債務者会社においても了解済であるかどうかを質したところ、牛島局長らは債務者会社に尋ねて明日回答する旨答えた。よつて債権者会社は翌二十九日再び前記大場朋世並びに山本広治の両名を運輸省に遣し債務者会社の回答の結果を聞かせたところ、磯崎課長は債務者会社から債権者会社の好意に対しこれに応ずる旨の返事のあつたことおよび同課長がさきに債権者会社に公約した事項はすべてこれを債務者会社に申し渡し了解済であることを告げ、協定書作成については約一週間の予定で関係官庁立会の上慎重協議する旨指示した。そこで同年四月三日から約一週間に亘り東京都渋谷の日通会館において債権者会社からは前記大場朋世、山本広治のほか顧問弁護士中島忠三郎の三名が債務者会社からは当時の自動車部長今井孝、同業務部長間瀬憲一、小山営業課長らがそれぞれ各会社の代表として出席し、前記磯崎課長のほか運輸省、東京陸運局、神奈川県道路運送監理事務所および物価庁の各事務官ら多数立会の上関係資料にもとづいて種々協議しその結果にもとづいて運輸省の係官が協定書の原案を作成し、これを各会社の右代表らに配布し、同人らはこれを一旦会社に持帰り会社内部で更に検討し翌日再びこれを持寄り修正加除するというふうに一字一句といえどもゆるがせにせず約一週間に亘り慎重審議して協定書原案を作成し、同年四月十五日債権者会社と債務者会社間において前記自動車道につき別紙記載のような乗入運輸協定が締結され、債務者会社は右乗入運輸協定にもとづいて昭和二十五年七月一日から同自動車道において定期バス事業を開始した。

二、ところで右乗入運輸協定並びにこれと同時に債権者会社と債務者会社間に取交わされた附属覚書およびこれらにもとづく事業計画によれば、右乗入路線における債務者会社の定期バスの運行回数は夏期すなわち四月一日より十一月十五日までは一日十往復、冬期すなわち十一月十六日より三月三十一日までは一日五往復と定められており、またその使用車種はニツサンおよびいすずの定員三十五人乗りのものを使用し、その自動車道通過料金は一台につき金六百五十円と決められており、乗入区間における一般乗合旅客自動車運転系統の起点は神奈川県足柄下郡温泉村底倉字小涌谷四九三番地先で、その終点は明確に同郡箱根町大字元箱根字旧札場一一〇番の三四地先(すなわち債権者会社の船舶発着所前)と限定されている。したがつて右運転区間内における債務者会社の定期バスの運行は右箱根町大字元箱根字旧札場一一〇番の三四地先を終点として必ず同所に停車し、その乗客全部を同地点において下車せしめなければならないことは単に乗入運輸協定上の義務であるばかりでなく道路運送法上当然守るべき業者の絶対義務である。

(一)、しかるに債務者会社は、前叙のとおり昭和二十五年七月一日定期バスの運行を開始して以来一日として右記事業計画通りの運行を実施せず、閑散期の場合には終日ないし連日運休し、甚だしきに至つては昭和二十五年十二月の如きは同月八日と十日に各一回運転したにとどまり、翌二十六年一月および二月中はただの一日も運転せず同年三月中も十五日に一回、二十五日に四回、二十八日に三回合計八回運転しただけで、数ケ月間殆んど運休状態に等しい有様であり、それはひとり債権者会社に対する債務不履行たるに止まらず、道路運送法上公共企業者として是が非でも遵守しなければならない義務にも違反し、殊に一般公衆の不便をも顧みないという公共企業者にあるまじき運行懈怠の非を重ねてきたので債権者会社は前叙のとおり前記乗入運輸協定の締結を強要し、かつその実施の監督者の地位にあつた前記牛島局長始め、当時の東京陸運局長河原道正並びに神奈川県陸運事務所長萩原栄治らに対し債務者会社の右記違反行為を是正監督するよう再三申し入れるとともに、債務者会社に対し再三、再四厳しく右違反行為の反省とその是正方を要請したが、同会社は毫もこれを改めようとせず、また前述したとおり前記乗入運輸協定締結に当つては、当時債務者会社は債権者会社に対し一方乗入の代償として相当の路線権利金を支払う旨約しておきながら後に至つて債務者会社はその定期バスの通過料金として夏期月間三十六万円、冬期月間十八万円を支払うほか右定期バスが早雲山方面から湖尻へ輸送してきた乗客は悉く同所において債権者会社の船舶に乗船することになり、その船賃収入として夏期月間約二十一万円、冬期月間約十万円が債権者会社の収益となるとの理由で前記路線権利金の支払を拒んでおきながら前叙のとおり定期バスの運行回数を減少し、もつて乗入運輸協定締結の約因給付義務をも懈怠するに至つたが、更にこれに加えて乗入路線区間に使用する車種についても勝手に所定の定員三十五名を越える大型バスを使用し、通過料金の支払額を誤魔化するに至つた。そこで債権者会社は止むなく昭和二十七年七月下旬静岡地方裁判所沼津支部へ債務者会社を相手方として契約金等支払請求の訴(同庁昭和二十七年(ワ)第二一一号)を提起した、

(二)、債務者会社は債権者会社が昭和二十五年三月十七日附二五神輸第一七九号をもつて免許され小田原-湖尻間の一貫定期バス路線の運行を妨害しようとして昭和二十七年九月二十二日債権者会社を相手方として当裁判所へ債権者会社の右定期バスを早雲山駅を起点として一つは大涌谷方面へ、他は小涌谷温泉場方面への振り分け運転をなすべき旨の仮処分命令を申請し、

(三)、また昭和二十五年八月一日以降は債務者会社の前記定期バスは乗入運輸協定に定められた終点湖尻に停車せず、故意にそれを越えて同所から約四百七十米西南方に位置する債務者会社の子会社である箱根観光船株式会社の船舶発着所のある桃源台まで運転系統外の不法運転を敢行し、その定期バスの乗客全部を右桃源台に拉致し、その悉くを常に乗客の意思を無視して右箱根観光船株式会社の約十九屯の船舶に乗船せしめるというような公共企業者として恥ずべき挙措に出でしかもこれがため債権者会社は湖尻における右拉致乗客分に相当する船賃収入を喪失し、折角前記乗入運輸協定締結の一大約因であつた船賃収入も到底期待できない状態となつた。そこで債権者会社は奥箱根方面における交通秩序保全の上からは勿論、旅客公衆の交通機関選択の自由と利便を保障する上からも、また前記乗入運輸協定締結の約因給付を確保する上からもこれ以上到底坐視するに忍び得なかつたので昭和二十九年三月十一日当裁判所へ債務者会社を相手方としてその定期バスの湖尻停車と運転系統外運行禁止の仮処分命令を申請し、同年六月七日同裁判所は債務者会社の定期バスの運転系統路線外運行をしてはならない旨の決定をなし、同会社も右仮処分決定に従い一応前記路線外運転はこれを中止したものの、これに代るべき別途の方法として同年八月以降債務者会社の廃車小型バスを前記箱根観光株式会社に譲渡し、これを同会社のサービスカーと塗り替えた上湖尻と桃源台間の旅客輪送に投入し、旅客の無料輸送機関と称し、しかも債権者会社の湖尻船舶営業所直前において債務者会社の定期バスの乗降口と右サービスカーの乗降口とを相互に接着させ、いわゆるステツプ・バイ・ステツプの方法により前者の乗客全部を後者の車に移乗せしめ、その悉くを再び桃源台に拉致するに至り、

(四)、また、債務者会社は前記乗入運輸協定実施後わずか一ケ月経過したにすぎない昭和二十五年八月一日突如前記箱根観光船株式会社を設立し、債権者会社の社長河合好人がその社長をも兼任し、同人の死亡後は更に債権者会社の専務取締役武田国三が右箱根観光船株式会社の社長を兼任し、その急造にかかる約十九屯の法外船三隻を芦の湖上に就航せしめて、債権者会社の船舶航路事業に対し種々不当な競争を挑んできたが、たまたま昭和二十八年海上運送法の一部改正法が施行せられた際時の関東海運局長は債権者会社と右箱根観光船株式会社の激甚な競争を招来することをおそれ、昭和二十九年夏頃右両会社に対し(1) 当分の間船舶の増強をしないこと、(2) 代替船の建造は旧来の船型(屯数)のものに限ること、(3) 将来需給関係に特別の事情が生じ船舶を新造するについては予め関東海運局の認諾を得べきものとし、もしこの認諾を得ないで新造したときは、たとえこれに伴う当該運航計画変更の申請が不認可の処分に遭つても異存を申し立てないこと、の三項目に亘る船舶新造自粛契約条項を呈示してその同意を求め、右両会社は当時それぞれ関東海運局長宛に応諾の意思表示をなしていたが、箱根観光船株式会社はその頃、その裏面において秘かに関東海運局長に対し大型交通船の新造計画を呈示し、その承認を強要し、こと困難とみるや時の政務次官をして同海運局長に政治的圧力を加えさせた上遂に昭和三十年十月十二日附関公第三〇六号をもつて「箱根観光船株式会社の申出にかかる大型交通船一隻の建造を承認する」旨の通知をなさしめ、これにもとづいて同会社は昭和三十一年春百二十屯の大型船舶を建造し、これを同年四月二十九日以降芦の湖上の旅客輸送に就航させ前記サービスカーと債務者会社の定期バスの運行とにより湖尻における債権者会社の船舶収入を益々減少せしめるに至り、

(五)、しかも乗入運輸協定の制度そのものは、もともと終戦後における特殊の交通事情から当時の占領軍CTSの指導によつて採用せられた一時の便法に過ぎず、厳密にいえば道路運送法上の根拠は極めて疑わしく、その合法性も久しく争われてきていたし、前記乗入運輪協定は前叙のとおりその成立の動機において多分に不純な要素をはらんでおり、奥箱根観光地帯に根を張つた癌腫ともいうべきものであつた。

三、そこで債権者会社は右(一)ないし(五)の諸事情からして前記協定書第十条にもとづいて債権者・債務者間の乗入運輸協定を廃棄するにしかずと考え、昭和三十一年三月十日附および同月十二日附各内容証明郵便をもつて、債務者会社に対し前記乗入運輸協定並びに同附属覚書にもとづく一切の取決めを同年六月三十日限り廃棄する旨の意思表示をなし、同書面はその頃債務者会社に送達され、右乗入運輸協定は同年六月三十日限り適法に解約され終了したにかゝわらず債務者会社は同年七月一日以降も債権者会社の制止をも聞かず、前記乗入区間に対し、その一般乗合旅客自動車運送事業のため定期バス運転を行わんとしているが、このまま放置しておけば債権者会社は前叙のとおり湖尻における船賃収入を益々減少し、著しい損害を被るばかりでなく、交通秩序をも何時破壊されるかも知れないような急迫した事態にあるので、右損害を避け急迫した事態の発生を未然に防止し、かつ債務者会社の急迫した強暴を防止するため債権者は昭和三十一年五月三十一日当裁判所に対し債務者を相手方として「債務者は昭和三十一年七月一日以降債権者の有する免許路線中小涌谷(神奈川県足柄下郡温泉村底倉字小涌谷四九三番地先)から早雲山駅(同郡宮城野村強羅一三〇〇ノ三一七番地)-大涌谷(同郡仙石原村台獄一二五六番地先)-湖尻(同郡箱根町大字元箱根字旧札場一一〇の三四番地先)間延長九・六粁(別紙図面点線表示区間)に対し債務者の車輛を乗入一般乗合旅客自動車運送事業のためのバス運転をしてはならない」旨の仮処分命令を申請したところ、同裁判所は同年七月六日その旨の仮処分決定をした。

そして右決定は既に執行されたとはいえ、債務者会社において更に右区間においてバス運転をしようとしていることは明らかであるから今日もなおその決定を維持する必要があり、その認可を求める。

四、債務者の主張事実中

債務者がその主張のような事業を営む会社であること、その主張のような鉄道並びにバス路線を経営していること、債権者が債務者主張の頃その主張のようないわゆる小田原線につき運輸省当局に対しバス路線の免許申請をしたこと、右免許申請に対し債務者会社がその主張のような反対意見を表明したこと、運輸省が公聴会における討論にもとづいて右路線につき債務者主張の頃その主張のような制限附免許をしたこと、債権者会社の一般自動車道の敷地の一部に債務者会社の土地の存すること、債務者主張の日にその主張のような認可申請をしその認可のあつたこと、債務者主張の頃その主張のような行政訴訟を債権者会社が提起し、その訴状に債権者主張のようなことが記載されていることはいずれも認めるが、その余の事実で債権者の主張に反する部分はすべて否認する。

五、なお債務者は、前記協定書第十条は東京都およびその周辺に行われていたものを敷き写しに表示した例文規定にすぎない旨主張するが、前述したとおり右協定書は運輸省始め関係官庁の係官立会の上で両当事者会社の代表らが約一週間の期間を費して慎重審議して作成したものであり、しかもその原案作成の際債務者会社の代表らは有効期間が一ケ年では短かいから二年ないし三年位にしてもらいたい旨の希望意見までだし債権者会社の代表が期間一年は既に双方了解事項であり、当初の約束と違う旨反対したゝめ協定書第十条のような取決めがなされたのであるが、更にまた債務者会社の代表らは協定書の第一原案ないし第三原案の第十条前段に「効力発生の日から一ケ年」とあるのをとらえ「一ケ年」の上に「満」の文字を挿入するよう強く要請し、運輸省の係官によつて一旦右条項の「一ケ年」の上に「満」の文字が挿入され、債権者会社の代表によつて「そこまで神経質な表示をする必要はない、一年と定めれば法律上当然満一ケ年の意味である旨の反対意見がだされ、運輸省の係官からも「満」の文字は不必要であると注意され、遂に債務者会社の代表らはこれを了承し、その後の協定書の原案からは再びこの「満」の文字は除かれるに至つたが、債務者会社の右代表らはこのように前記協定書の有効期間の表示にすら「満」をもつてするかどうかということにすら深い関心をもつており、いかに協定書第十条の本旨がその表示通りのもので「一ケ月前までに甲乙の一方より何等の意思表示を受けない時」にのみ更に一ケ年間継続しうるにすぎないものであることを十二分に意識し、その有効期間の算定に一日なりともこれを喪うことのないように努めて警戒していたかがわかるのであつて、債務者の右主張は事実無根の言分であり、右協定書第十条の定めは全国の事例を調査分析した結果にもとづき当事者会社の関係者の充分な認識と慎重な検討と協議とを経て文字通りの合意に達したものである。

六、債務者は、債権者の前記通告は公共の福祉に反するとか、信義則に背馳し権利の濫用となる旨主張するが右協定書第十条は明らかに前記乗入運輸協定の有効期間を一ケ年とし、期間満了一ケ月前において更に一ケ年間その有効期間を更新するか否かは当事者一方の自由なる意思によつてこれを決することができる趣旨であり、契約当事者の一方は相手方に対し契約満了前一ケ月の期間をおく通告によつて自由に右協定全部を廃棄終了せしめることができるのであるのであるが、かりに百歩を譲つて債務者の主張するような、なんらかの廃棄理由が必要であると仮定しても、債務者会社には前記一の(一)ないし(四)記載のような数々の債務不履行ないし道路運送違反行為とこれに基因する債権者会社の経済的損失および乗客公衆への多大の不便と迷惑は債権者会社の前記廃棄通告を正当づけるに足る充分な根拠となるものであつて、債権者会社が前叙のとおり前記乗入運輸協定を廃棄したからといつて、それが公共の福祉に反するとか、あるいは信義誠実の原則に背馳したり、また権利の濫用となるべきものでもない。

七、債務者はまた運輸大臣によつて認可された前記乗入運輸協定は路線免許の場合と同様にその休廃止するには行政庁の認可を要し、当事者の自由なる意思によつてその事業を休廃止できない旨主張するけれども、路線の免許は主務大臣によつて一定の基準にもとつき特定人のためにその路線につき自動車運送事業を営み得る権利を設定するものであるが、乗人運輸協定の認可は右路線の免許とは本質的に異り、主務大臣の認可さえうければ自動車運送業者は他の自動車運送業者との自主的契約にもとづいて他人の路線に自己の車輛を乗入れ、運行することができるにすぎず、他人の路線上に自己の車輛を運行せしめる地位は、その乗入運輸協定に附随して生ずるもので、協定によつて発生し協定によつて消滅するものである。したがつて前記一方乗入運輸協定によつて債務者会社が取得した前記地位は、右協定に附随して成立し、その効力に随伴して存続するに過ぎないから前叙のとおり右適法に廃棄された今日、もはや債務者会社はその車輛を前記路線に乗入れるべきなんらの権利もないことは明らかである。

八、更に債務者は、債権者会社が昭和二十九年七月東京地方裁判所に提起した行政訴訟事件で前記乗入運輸協定が免許と実質を同じうするものであることを自認していた旨主張するけれども債権者会社が右行政訴訟を提起したのは前叙の如く牛島自動車局長や藤崎監理課長らの違法不当な行為を糾弾し、これと一連の関係をもつ運輸省一部高官の反省を求め、違法不当な運輸行政を是正さすために提起したものであり、右訴訟において「相互の契約によつて創設しようとした」云々というのは、当時の右運輸省係官の強圧的言辞を表現したまでであり、また「一方乗入路線設定に承諾した」云々は右強圧に堪え兼ねて前記乗入運輸協定の締結に応じたことを指称する趣旨であつて、債権者会社はいまだかつて同乗入運輸協定が免許と同じ実質のものであるなどと主張したことはないし、また前記牛島辰弥、同磯崎勉はその在官中債務者会社偏向の運輸行政をとり、業界の指弾を受けたことは顕著な事実であり、前者は退官後幾何もなくして債務者会社と同系統の東京地下鉄、現在の高速度交通営団の副総裁に就任し、後者も退官後四、五日ないし十数日後に債務者会社と姉妹会社の関係にある日英自動車株式会社ないし日本交通自動車株式会社に就職しており同人らの証言ないし陳述書はたやすく措信できないものである旨附陳した。

第二、債務者の主張

(申立)

債務者訴訟代理人は

「主文第一項掲記の仮処分命令を取消す。

債権者の仮処分命令申請は却下する。

訴訟費用は債権者の負担とする。」

旨の判決を求め、その理由として次のとおり陳述した。

(理由)

一、債権者主張の事実中

前記一のうち、その主張の自動車専用道路が債権者会社の建設した自動車道であること、債権者会社が右道路完成と同時にその主張のような事業を開始したこと、債務者会社が債権者主張の頃、その主張のような免許申請をしたこと、債権者主張の頃その主張のような乗入運輸協定が両会社間で締結され、債務者会社が右協定にもとづいて債権者主張の頃から右記自動車道において定期バス事業を開始したこと、

同二のうち、その主張のような附属覚書およびそれにもとづく事業計画に乗入路線における債務者会社の定期バスの運行回数、使用車種、通過料金がそれぞれ債権者主張のとおり決められていること、乗入区間の起点、終点がそれぞれ債権者の主張のとおりであること、債権者会社がその主張の頃静岡地方裁判所沼津支部へその主張のような訴訟を提起したこと、債務者会社が債権者主張の頃当裁判所へその主張のような仮処分命令を申請したこと、債権者会社がその主張の頃当裁判所へその主張のような仮処分命令を申請し、同裁判所が債権者主張の頃、その主張のような仮処分決定をしたこと、

同三のうち、債権者会社がその主張の頃その主張のような意思表示をなし、その書面が債権者主張の頃債務者に送達されたこと、債権者会社がその主張の頃当裁判所へその主張のような仮処分命令を申請し、同裁判所が債権者主張の日にその主張のような仮処分決定をしたことは認めるが、その余の事実は全部否認する。

二、債務者会社が債権者会社とその主張のような乗入運輸協定を締結するに至つた経緯は次のとおりである。すなわち

債務者は箱根地帯を中心として鉄道および自動車による旅客運輸業を営む会社で古く明治二十一年創業以来六十有余年の長きに亘つて鋭意箱根観光地帯の開発に努力してきたが、その経営する小田原-小涌谷-強羅間の鉄道線並びに小田原-小涌谷-元箱根間および小田原-仙石-湖尻間のバス路線は、債権者会社のバス路線および芦の湖航路線と相まつて箱根における主要交通網を形成しており、債務者会社の経営する強羅-早雲山間の鋼索鉄道は戦時中強制撤去せられたまま久しく奥箱根の交通網の大きな欠陥となつていた。そこで債務者会社は逸早くその復旧に着手し、その竣工の暁は箱根観光客に多大の利便を供すべき態勢にあつたが、早雲山より更に芦の湖畔湖尻方面に出ようとする観光客の要望に応えるものとしては当時わずかに債権者会社の経営するバス路線があるにすぎない状態で、債務者会社の右鋼索鉄道の復旧も画籠点晴を欠くきらいがあるので債務者会社はこれを遺憾とし、その経営する電車および鋼索鉄道並びに既設バス路線である前記小田原-宮の下-小涌谷間の路線(以下これを小田原線と略称する)と湖尻を結ぶ一貫輸送の必要を痛感し、小涌谷-早雲山-湖尻間のバス路線(以下これを早雲山線と略称する)のバス路線の免許を希望していたが、この路線は債権者会社の既免許路線であるため、早雲山線の免許と債務者が永い間独占バス路線として運行し、しかもその経営全路線中最も収益の多い右小田原線のバス路線の免許とを交換条件とされることを最も憂慮し、あえて早雲山線のバス路線の免許申請を差し控えていた。ところが債権者会社は昭和二十二年運輸省当局に対し一貫輸送による通勤、通学者の便宜を図ることおよびその経営する大雄山鉄道線との一貫輸送を図ることの必要を挙示して右小田原線にこれと競争するバス路線の免許を申請した。そこで債務者会社は当時の交通事情に鑑み、その不必要な所以を明らかにし、遂一その挙示した理由を反駁して小田原線の権益を守るため、箱根全域における交通事情と、その中における小田原線の重要性等資料を具して熾烈な反対意見を表明したが、運輸省は公聴会における討論にもとづいて昭和二十四年十二月附をもつて債権者会社の右免許申請を容れ、これに免許を与えるに至つたが、その理由として債権者会社に対し公共の利益のために一貫輸送を認めること、および一社独占を廃し公正な競争を図ることにより、公衆の利便を増進させることが運輸行政の基本であることを明らかにし、かつ、すでに債務者会社に認められた正当な権益は充分これを保護せんとするもので、そのため債権者会社の右免許については無停車その他の制限を附した旨説明した。債務者会社としては右免許には非常に不満ではあつたが、運輸省当局のいうところの一貫輸送の確保、一社独占排除の根本方針にはなんら反対すべき理由がないので涙をのんで引下らざるをえなかつた。一方債務者会社では前記鋼索鉄道の復旧工事が進渉し、近くその完成をみるに至つたので、早雲山駅から湖尻に至る間に自社のバスを運行し、右バス路線を芦の湖におけ既設定期航路業者である債権者会社および新設会社である箱根観光船株式会社の各航路を経て箱根-小涌谷-小田原間、熱海、三島、沼津等のバス路線に連結させ、箱根全域における周遊交通網の拡充を計り、一面には債権者会社の小田原線免許に対する均衡上から早急に早雲山線の免許を獲得するため、昭和二十五年三月十日運輸省当局に対しこれがバス路線の免許を申請したが、前記小田原線は前述したとおり債務者会社にとつて早雲山線とは比較にならない程重要な路線であるばかりでなく、早雲山線の債権者会社経営の一般自動車道については債務者会社から相当の敷地を、しかも一部は無償で提供していることでもあり、また前記小田原線免許の際には運輸省当局から両会社に対し観光地箱根の発展のため両社の緊密な協力を要請されていたので、債務者会社としてはその早雲山線免許申請に対して債権者会社が右諸事情を考慮し、また事業者相互の徳義上からしても当然好意的に処理してくれるものと期待し、また非公式ではあるが、運輸省当局においても早急にこれを免許する方針であることが窺知されたので、右免許は早晩実現し、両社協調の実が挙がり相携えて箱根の発展に寄与しうるものと信じていたが、債権者会社は一旦小田原線の免許をかち取るや、債務者会社の早雲山線の免許申請に対しては一般自動車道が私有財産であることを理由に強引に反対を表明した。しかし債権者会社の反対にもかかわらず、右路線免許の前提となる公聴会が同月三十一日開催されることとなり、その旨の告示がなされるや、債権者会社はその態度を豹変して運輸省当局に対し債務者会社との乗入運輸協定締結の斡旋方を懇願した。その結果、債務者会社は運輸省当局から債権者会社の希望であるから免許申請に代え右路線に対し同会社の定期バス乗入運輸協定の締結の申し出でに応じてはどうかとの慫慂を受けるに至つた。当時債務者会社としては本免許に対する希望が熾烈であり、その見透しも充分であつたが、運輸省当局の空気からして協定によつてもいずれは免許に切換えられるものとの確信をいだき、一方当局の慫慂を拒否し飽くまで免許で進む場合にはこれと交換に債権者会社の小田原線における免許につけられた前記制限を撤廃される事態となるかも知れず、かくてはその打撃がより一層深刻なのでその点を特に考慮し、なお間近に迫つている鋼索鉄道の開通にも間に合わせるため、債権者会社の前記申し出でに応ずることとなり、同年四月十五日債権者の主張するような乗入運輸協定を締結した次第である。

三、しかして、両会社は同年五月十九日連署の上、運輪大臣宛右「一般乗合旅客自動車運送事業乗入運輸協定」の認可を申請し、同年六月二十七日附自監第一三六九号をもつてこれが認可を得た上、債務者会社は右協定の約旨に従い同年七月一日前記強羅-早雲山間の鋼索鉄道の営業開始と同時に小涌谷から早雲山駅-大涌谷を経て湖尻に至る延長九・六粁の路線において定期バス営業を開始し、爾来昭和三十一年六月まで満六年間にわたり年々増加する奥箱根観光客の完全輸送の一翼を担当してきた。しかるに債権者会社は、特別の事情変更など存しないのにかかわらず、突如債権者の主張するような内容証明郵便をもつて一方的に前記乗入運輸協定を廃棄する旨の意思表示をしてきた。

四、しかし、右意思表示は次のような理由で無効である。

(一)、前記乗入運輸協定が両会社間で締結されるに至つた経緯は既に前述した通りであるが、それは債務者会社の定期バス乗入が特殊な臨時的目的のための一時的な「乗入運転」でなく、債務者会社が早雲山線において免許と等価値の実質をもつものとして継続的な定期バス事業を経営するという観点に立つて運輸省当局は右協定の締結を慫慂し、また両会社も同様な観点から前記乗入運輸協定を締結したのであり、その協定書を作成するにあたつてもなんら議論の余地はなかつた。債権者主張の協定書の文案は当時斡旋の労をとつた運輸省当局が一応東京都周辺その他において広く行われている事例をそのまゝ踏襲して原案を作成し、これを交渉の途次具体的に本件に即応するよう若干修正したにすぎず、協定書第十条の趣旨も高々将来における前記路線の輸送の需給状態等の事情の変更に応じ協定事項について改訂の必要を生じた場合に具えその改訂の期間を決めたものであつて、その存続期間を決めたものではなく、また当事者に一方的に解約権を留保したりする趣旨でもなかつたのである。このことは両当事者が前記協定書の冐頭末尾に債務者会社の「車輛を乗入れ、一般乗合旅客自動車運送事業を経営するについて云々」と記載せられていること、同第九条で本協定の効力発生を永久的施設である鋼索鉄道の復旧開通の時からとしたこと、同協定書と同時に締結した覚書に債務者会社の右乗入区間に対する定期バスの運転回数を夏期と冬期にわけて協定してこと、並びに右協定がその後数年間何等異議なく実施せられてきた経緯等に照らしてみても明瞭に窺知せられるのであつて、その終期について一年という短期間を定めるなどということは特段の事情のない限り実験則上到底その真義であるとは考えられないばかりでなく、かえつて当事者間においては、その双方が右協定の廃棄に合意するかあるいは行政庁の何等かの行為により協定の認可が取消されるとか、債務者会社に対し前記路線につき営業の免許がなされるとか、その他成立当時と著しく事情の変更があつた場合や当事者が協定の条項に違反する等の事実がない限り有効に存続するものとの合意が成立していたのである。またもし前記協定が一年という短期間の定めものであつたならば運輸省当局においても道路運送法の趣旨からいつて到底これを認可する筈もなかつたし、また債権者会社自身も右乗入運輸協定が免許と同一の実体をもつものであることを当時自認していたのである。このことは同会社が協定成立後四年余を経過した昭和二十九年七月東京地方裁判所に運輸大臣を相手取り同大臣による右協定の認可は無効である旨の行政行為の無効確認訴訟(同庁同年行第六四号認可無効確認事件)を提起したその訴状において協定書第十条についてなんら触れるところがなく、右乗入運輸協定の趣旨について「原告会社(本件債権者会社)と訴外箱根登山鉄道株式会社との間における前記昭和二十五年四月十五日附協定書の如きは道路運送法上明らかに運輪大臣の専権に属する事項を単なる私契約によつて処理したもの云々」と断じ、更に右乗入運輸協定が「原告会社(本件債権者会社)の既免許路線中小涌谷-早雲山-大涌谷-湖尻間に対する訴外会社(本件債務者会社)バスの乗入営業路線を当事者会社相互の契約によつて創設しようとしたものであります」といい、また「勿論原告会社は前記訴外会社との間の昭和二十五年四月十五日附協定書及び同附属覚書の契約締結に際し、自社所有の一般自動車道に対する右訴外会社の使用権設定並びに同会社バスの一方乗入路線設定に承諾したことは事実である」などと主張している点からしても明らかである。

(二)、元来右協定は前記のように当事者双方からこれに基く細部の事業計画、発着時刻、運賃等を具して運輸大臣にその認可を申請し、運輸大臣より道路運送法第二十三条(現第二十条)に基き、公衆の利便を増進する運輸協定としてその認可を受けたものであるが、同条による認可は同法第四条による免許と相並んで事業としての自動車運輸事業に関する行政認可付与の方法として古くから運輸省当局により通用されてきているのであり、右認可によつて単なる私契約上の私の利害を超越し、広く一般公衆の利害がかけられた公共性の強い企業が成立するに至るのであつて、一旦乗入運輸協定の認可があつた以上、乗入側は右乗入路線の営業について権利を取得する反面、事業者としての義務を負担するようになることは免許の場合と異らず、その事業の休廃止についても行政庁の認可を要しほしいまゝに私契約をもつて事業を休廃止し得ない義務を負うのである。

(三)、そして前記乗入運輸協定は前述したとおり小田原-小涌谷間の債務者会社の既免許路線についての債権者会社に対する競争路線の免許並びにその制限の撤廃と一連の関係を有しており、両会社間の友好協調による箱根観光事業の発展に寄与しようとする共通の基盤に立つものであるにかかわらず、債権者会社は右小田原-小涌谷間の路線免許に関し債務者会社の寛容な態度により、その目的を達成するや勢に乗じて小涌谷から早雲山-大涌谷を経て湖尻に至る路線がその一般自動車道であるのを奇貨として、一般乗合旅客自動車運輸事業を排他独占せんがため前記協定廃棄の通告に及んだことは明白であり、せつかく公正な競争と輸送需給の調整と均衡を図り、公衆の利便を増進しようとする法の意思をじゆうりんし、しかもその反面において債務者会社の営業に致命的打撃を与え、一方一般旅客に対しては多大の不便を与える結果を招来し、なんら積極的利便を与えるものでないから、債権者会社のなした前記協定廃棄通告は公共の福祉に反し明らかに信義誠実の原則に背馳し、権利の濫用であり無効である。

(四)、なお、債務者は前述したとおり債権者主張の二の(一)ないし(五)の事実はすべて否認するものであるが、かりに債務者会社に債権者の主張するような事業計画に定められた運転回数を遵守しなかつたという事実があつたとしてもそれは債権者の主張からも明らかな如く、旧く昭和二十五年頃から昭和二十八年頃までのことであり、しかも債務者の主張によれば、前記乗入運輸協定は一年毎の更新であつたというにあるから右のような事実をもつて昭和三十一年三月の前記協定廃棄通告の理由とすることはできないし、また湖尻-桃源台間の運行は不法な運転でないが、かりにそれが違法であると仮定してもその事実はこれまた昭和二十五年八月から昭和二十九年二月二十五日頃までのことであり、これをもつて満二ケ年後の協定廃棄通告の理由とすることもできず、更に債務者会社となんら関係のない訴外箱根観光船株式会社のなしたサービスカーの運行や大型船の芦の湖就航を理由に債権者会社は前記協定を廃棄することはできない。

以上要するに、債権者の前記乗入運輸協定廃棄の意思表示は無効であり、右協定の効力消滅を前提とする債権者の本件仮処分申請は被保全請求権を欠き失当である。

五、またかりになんらかの理由により前記協定廃棄通告が無効でないとしても、債権者会社は一般自動車道の経営者として、なにびとに対しても道路運送法上に定められた場合を除くほか、その供用を拒絶することはできず、しかも債務者会社バスの小涌谷-湖尻間路線における定期運行は昭和二十七年七月一日以降約六ケ年の長きに亘りその営業として昭和三十年七月初旬まで日日行われてきており、これが継続的運行は右現状をいささかなりとも変行せんとするものでないから、これによつて債権者の主張するような交通秩序の混乱をきたすとか、あるいは旅客公衆に迷惑を及ぼすとかいうが如きことは有り得べき筈はなく、また債権者会社の自動車道の信用性ないしは利用度に毫も影響を及ぼすものでもない。またかりに債務者会社に債権者の主張するような協定違反があつたと仮定しても、それによつて債権者会社の被る損害は金銭賠償によつて可能であり、本件仮処分の必要は毫もない。

第三、疏明関係

債権者は疏明として、疏甲第一、第二号証の各一ないし三、同第三、第四号証、同第五号証の一ないし四、同第六、第七号証、同第八号証の一、二、同第九号証、同第十号証の一ないし四、同第十一ないし第十八号証、同第十九号証の一、二、同第二十号証同第二十一号証の一ないし五、同第二十二号証の一ないし九、同第二十四号証の一ないし三、同第二十五号証の一ないし八、同第二十六、第二十七号証、同第三十五号証の一、二、同第三十六号証、同第三十七号証の一ないし三、同第三十八ないし第四十七号証、同第四十八号証の一、二、同第四十九、第五十号証、同第五十一号証の一、二、同第五十二号証、同第五十三号証の一、二、同第五十四号証の一ないし六、同第五十五号証、同第五十六号証の一ないし三、同第五十七、第五十八号証、同第五十九ないし第六十五号証の各一、二、同第六十六ないし第七十九号証を提出し、証人一杉晃の尋問を求め、疏乙第一号証の一ないし三、同第三、第四号証、同第十七号証、同第二十四号証の二、同第二十五号証、同第二十六号証の一ないし四、同第二十七、第二十八号証の各一、二、同第二十九ないし第三十一号証、同第三十二号証の一ないし三、同第三十三ないし第三十七号証の各成立は認め、その余の疏乙号各証の成立はいずれも不知と述べ、

債務者は疏明として、疏乙第一号証の一ないし三、同第二号証の一ないし五、同第三ないし第十四号証、同第十五号証の一、二、同第十六、第十七号証、同第十八号証の一ないし四十五、同第十九ないし第二十三号証、同第二十四号証の一、二、同第二十五号証、同第二十六号証の一ないし四、同第二十七、第二十八号証の各一、二、同第二十九ないし第三十一号証、同第三十二号証の一ないし三、同第三十三ないし第三十七号証を提出し、疏甲第三、第四号証、同第五号証の一ないし四、同第六、第七号証、同第十号証の一ないし四、同第十一ないし第十五号証、同第十九号証の一、二、同第二十号証、同第二十二号証の一ないし九、同第二十四号証の一ないし三、同第二十五号証の一ないし八、同第二十六、第二十七号証、同第三十五号証の二、同第四十七号証、同第四十八号証の一、二、同第四十九号証、同第五十一号証の一、二、同第五十二号証、同第五十三号証の一、二、同第五十四号証の一ないし六、同第五十五号証、同第五十七、第五十八号証、同第六十六ないし第六十七号証、同第七十一ないし第七十七号証の各成立は認めるが、その余の疏甲号各証の成立はいずれも不知と述べた。

理由

(本件協定書第十条について)

神奈川県足柄下郡温泉村底倉字小涌谷四九三番地先から早雲山を経て同郡元箱根村字旧札場一一〇番の三四地先に至る九・六粁の自動車専用道路(別紙図面の点線部分)が債権者会社の建設した自動車道であること、債権者会社が右自動車道の完成と同時に私有一般自動車道による自動車道事業と定期バス事業を開始したこと、債務者会社が箱根地帯を中心として鉄道および自動車による旅客輸送事業を営むこと、債務者会社が小田原-小涌谷-強羅間の鉄道線並びに小田原-小涌谷-元箱根間および小田原-仙石-湖尻間のバス路線を経営していること、債権者会社が昭和二十二年頃運輸省当局に対し小田原-宮の下-小涌谷間にバス路線の免許申請をしたこと、債務者会社が右免許申請に対し自己のバス路線の権益を守るために熾烈な反対意見を表明したこと、運輸省が公聴会における討論にもとづいて昭和二十四年十二月債権者会社に対し無停車その他の制限を付して右バス路線の免許を与えたこと、債権者会社が昭和二十五年三月十三日頃運輸省当局に対し前記自動車道にバス路線の免許申請をしたこと、右自動車道の敷地の一部に債務者会社の土地が存在すること、債権者会社が債務者会社の右バス路線免許申請に反対したこと、および昭和二十五年四月十五日債権者会社と債務者会社との間に別紙記載のような一般乗合旅客自動車乗入運輸協定が締結されたことはいずれも当事者間に争がない。

右争のない事実と、成立に争のない疏甲第十九号証の一(疏乙第一号証の一と同様の書面)同号証の二(疏乙第一号証の二と同様の書面)同第二十号証、同第五十四号証の一ないし六、同第五十五号証、同第五十八号証、同第七十三号証、同第七十四号証の一ないし三、同第七十九号証、疏乙第三十三ないし第三十七号証、右疏甲第七十四号証の二の供述記載により真正に成立したと認める疏甲第五十六号証の一ないし三、右疏甲第七十四号証の三の供述記載により真正に成立したと認める疏甲第九号証、右疏乙第三十七号証の供述記載により真正に成立したと認める疏乙第五号証、右疏乙第三十四号証の供述記載により真正に成立したと認める疏乙第二十二号証、疏乙第三十六号証の供述記載により真正に成立したと認める疏乙第二十一号証、証人一杉晃の供述により真正に成立したと認める疏甲第七十一号証を綜合すると、債権者会社は大正十四年頃自動車道事業の必要を痛感し、訴外中島陟を欧米に派遣し、同人をしてその調査研究に当らしめ、昭和の始め頃小涌谷-湖尻間を含む延長約三十粁に及ぶ自動車道の建設を企図し、その頃土地の買収、賃借等を経て右自動車道の建設工事に着手し、巨大な資本と労力を費して昭和十年十二月これを完成し、その頃私有一般自動車道による自動車事業と、小涌谷-湖尻間の延長九・六粁につき定期バス事業の免許を得て爾来右両事業を経営しており、一方債務者会社も古くから箱根地帯を中心として鉄道および自動車による旅客運輸業を経営し、小田原-小涌谷-強羅間には鉄道を、強羅-早雲山間には鋼索鉄道を、また小田原-小涌谷-元箱根間および小田原-仙石-湖尻にはそれぞれバス路線を有しており、これらの鉄道並びにバス路線はそれぞれ債権者会社の前記バス路線と相まつて箱根における主要な交通網を形成していた。ところが債務者会社経営の前記鋼索鉄道は戦時中軍の命令で強制撤去され、久しく奥箱根の交通網の欠陥となつていたので、債務者会社は戦後いちはやくその復旧に着手したが、早雲山から更に芦の湖畔湖尻方面に向う観光客の要望に応えるものとしては当時僅かに債権者会社経営の前記バス路線があるに過ぎない状態であつたので、債務者会社は箱根全域における周遊交通網の拡充をはかるため、小涌谷-早雲山-湖尻間のバス路線(以下これを早雲山線と略称する)の免許を得て、これと前記小田原-強羅間の鉄道および強羅-早雲山間の鋼索鉄道ならびに小涌谷-宮の下-小田原間のバス路線(以下これを小田原線と略称する)等とを結ぶ一貫輸送をしたいと考えていたが、右早雲山線については前叙のとおり債権者会社が既に定期バス事業の免許を得ていたため、債務者会社がこれに定期バスの路線免許を申請すれば、債権者会社でも、債務者会社が永い間独占バス路線として運行し、しかもその経営する全バス路線中最も収益の多い右小田原線にバス路線の免許を申請し、これと交換条件とされることを最もおそれ、早雲山線のバス路線の免許申請を差し控えていた。ところが債権者会社は、昭和二十二年運輸省当局に対して一貫輸送による通勤、通学者の便宜を図ることおよびその経営する大雄山鉄道線との一貫輸送を図ることの必要性等を理由に右小田原線にバス路線の免許を申請し、運輸省は当時これを関東道路運送審議会の公聴会にかけ、債務者会社は右免許申請に強く反対した。ところで定期バス事業については昭和二十二年頃まで一路線一営業という一社独占の事業形態が成立していた。しかしその後占領軍当局の指示もあり、運輸省当局の行政指導の方針は旅客公衆の便益のためにはできるだけ直通運転による一貫輸送の制度を認め、場合によつては一路線に二つの業者が入ることも差支えないというように変つてきていたため、運輸省当局は債務者会社の前叙のような事情を考慮して昭和二十四年十二月二十七日前記公聴会における討論の結果にもとづき債権者会社に運転回数および小田原-小涌谷間無停車の制限を付してバス路線の免許を与えた。一方債務者会社はその頃運輸省当局からその行政指導の方針が前叙のとおり変更されたことをきゝ、またその頃前記鋼索鉄道の復旧工事もその完成が間近に迫つていたので、昭和二十五年三月十三日頃運輸省当局に対し債権者会社経営の前記小涌谷-早雲山-湖尻間延長九・六粁(別紙図面の点線部分)の一般自動車道につきバス路線の免許申請をした。しかし当時の運輸省自動車局長牛島辰弥、同局監理課長磯崎勉らは右自動車道が債権者会社経営の一般自動車道であるということを考え、同月十六日同会社の社長大場金太郎、同総務課長大場朋世ら同道で運輸省を訪れた際同人らに対し債務者会社から右自動車道につきバス路線の免許申請のあつたことを告げ、同自動車道への乗入運輸協定を締結するよう奨めた。しかし大場金太郎らは「重大な事柄だから会社へ帰り、よく会社の幹部と相談した上で回答する。しかし個人としては断る」旨答え、右勧奨に反対したので牛島局長らは二十日まで猶予するから同日までに回答するよう告げた。そこで大場金太郎らは早速会社に帰り会社幹部らと相談したが、結局反対意見が強く二十日までには到底結論がでなかつたゝめ、前記大場朋世は同月二十日再び運輸省を訪れ、磯崎課長にその旨を伝えた。ところでその頃道路運送審議会に関する法律が改正され同年四月一日からは新制度に変ることになつているので、磯崎課長はこのことを大場朋世に告げ、もしそうなれば債務者会社の免許申請の案件も延び債務者会社にとつて気の毒だから乗入運輸協定に応じてはどうか、応ずるならば債権者会社の希望条件も充分考慮し、通行料の他に権利金もとれるよう計らうし、協定の期間も一年更新ということにしてはどうかというような趣旨のことを話し、至急回答するよう告げた。しかし債権者会社では依然反対意見が強かつたので、右大場朋世は同月二十二日頃東京駐在員山本広治、顧問弁護士中島忠三郎のほか二名を伴つて運輸省に赴き、牛島局長や磯崎課長らに対し債権者会社の私有道路に債務者会社の定期バスを一方乗入れされることは困る旨陳情し、債権者会社の回答として、(一)債務者会社で債権者会社の小涌谷-湖尻間の私有道路を買取るか、(二)右道路の建設費用の半分を債務者会社が負担すること、そうすれば債務者会社の免許申請に反対しない、さもなくば(三)右私有道路を国または県で買上げ、公道となれば通常の方式で協定する旨の三ケ条を提示した。しかし牛島局長は債権者会社で乗入運輸協定の締結に応じない場合には債務者会社の前記免許申請を道路運送審議会の公聴会にかけ、これを免許すべき旨を告げ、また磯崎課長はさかに大場朋世に話したと同趣旨のことを繰返し、更にまた債務者会社の定期バスが運行するようになれば早雲山や小涌谷方面から運んできた乗客は湖尻で債権者会社の船舶に乗船するようになりその船賃収入も相当の金額となる旨話し、極力乗入運輸協定の締結方を慫慂した。しかし債権者会社ではその後会社幹部ばかりでなく、労働組合員までが反対し始めたので、前記中島忠三郎、山本広治らはその後も再三運輸省を訪れ、牛島局長や磯崎課長に対し右事情を説明し、極力右乗入運輸協定の締結方の慫慂を断念させようと努めたが一向にその効果なく、かえつて同月二十七日債権者会社は突然神奈川県乗合自動車協会から「来る三十一日に箱根登山の免許申請について公聴会を開く旨の告示があつた」旨の電話連絡をうけた。そこで債権者会社ではこのまま放置しておけば運輸省当局が債務者会社に対し、右路線免許を付与するかも知れないと考え、翌二十八日前記大場朋世、山本広治の両名を運輸省に遣し、同人らから牛島局長および磯崎課長らに対し従来磯崎課長の話していた権利金や使用料の点は充分考慮してもらえるかどうか、また契約の期間を一年更新とし期限がきた場合に債権者会社で自主的に解約できるかどうかなどの点を質し、それらの点が確約されれば債権者会社で乗入運輸協定に応じてもよい旨を伝え、更に右確約事項を文書にしてもらいたい旨申し出たところ、牛島局長から「運輸省をそんなに信用できないか」などと言葉鋭く叱責され、大場朋世らもその剣幕におそれ局長や課長の言葉を信頼して協定に応ずる旨答えた。なおその際大場朋世らは牛島局長らに磯崎課長がさきに話していた種々の条件は債務者会社の方でも了承しているかどうか尋ねたところ、同局長は債務者会社にはまだなにも聞いていないが、聞けば明日にでもわかる旨答えた。そこで大場朋世、山本広治の両名は翌二十九日再び運輸省に磯崎課長を訪ね債務者会社からの回答の有無を確めたところ、同課長は債務者会社側も了承した旨答え、同年四月三日から協議して協定書の文案を作るから債権者会社で何か別の条件があればそれまでに具体的に考えておくよう伝えた。そこで同年四月三日正午頃債権者会社からは前記大場朋世、中島忠三郎、山本広治らが、債務者会社からは自動車部長今井孝、事業部長間瀬憲一、営業課長小山一三らがそれぞれ各会社を代表して一旦運輸省に集り、運輸省係官の計いで同日午後四時頃から東京都渋谷の日通会館に赴き同所において磯崎課長、宮地道路課長、福島・辻村の各運輸事務官のほか東京陸運局、神奈川県道路運送監理事務所および物価庁の各係官らも出席し、運輸協定締結の打合せ会を開催し、翌四日から運輸省係官の手によつて運輸省において集収した関係資料を参考に、当事者会社の右代表らの意見を徴して本件運輸協定の原案(疏甲第五十四号証の一)を作成し、これを同日右会社代表に配布し、同人らはそれぞれ右原案を一旦自己の会社に持ち帰り、会社内部で相談した上、翌日右原案を持ち寄り、運転回数や運賃料金の取決め事項を協議するとともに、右原案の問題点を修正し、再び運輸省係官によつて修正した原案を作成し、これを右会社の代表らにそれぞれ配布し、同人らはこれを自己の会社に持ち帰り相談し、翌日再び右修正案を持ち寄り修正するという方法で順次修正を重ね、同月十日頃ようやくその成案(疏甲第五十四号証の六)を得、これにもとづいて本件乗入運輸協定書(疏乙第一号証の一、疏甲第十九号証の一)が作成され、両会社の各代表者によつて調印されたこと、債務者会社の前記代表らは最初の原案作成当時本件乗入運輸協定の有効期間が一年では短かすぎるから二年ないし三年位にしてもらいたい旨申し出で、債権者会社の代表らの強い反対に遭い、結局右代表らの間で本件乗入運輸協定の有効期間は一年更新することに決り、最初の原案ができたこと、更にその後債務者会社の前記代表らは第四原案ができた頃、その第十条前段に「効力発生の日から一ケ年」とある「一ケ年」の上に「満」の文字を挿入することを申し出で、運輸省の係官によつて一旦右条項の「一ケ年」の上に「満」の文字が挿入されたが、債権者会社の代表らがその必要はない旨主張し、結局右「満」の文字は削除されることになつたこと、その後昭和二十七年六月十四日運輸省の当時の自動車局長中村某は債権者会社の小田原線免許につけられた前記制限を解除するに先だち、債権者会社並びに債務者会社の両代表を運輸省に招致し、同人らに対し箱根への一般旅客が漸増し、また債務者会社の輸送力も増大してきたので、債権者会社につけられた前記制限は全面的に解除するから、債務者会社も希望するなら債権者会社の同意書を添附して、早雲山線についてバス路線の免許申請をするようまた債権者会社も右免許申請に同意するようにとの趣旨の勧告をなし、債務者会社は右勧告にしたがつて早速右バス路線の免許申請をしたいと考え、債権者会社にその同意を求めたが、同会社がこれに応じなかつたため、債務者会社はその同意の得られないまゝで同年七月二十九日再び運輸大臣宛に債権者会社の前記一般自動車道につきバス路線の免許申請をしたこと等が疏明されるのであり、これに反する疏甲第二十号証、疏乙第五号証・同第二十一号証・同第二十二号証の各記載部分及び疏乙第三十三ないし第三十七号証の各供述記載部分はいずれもたやすく信用しがたく、他にこれをくつがえすに足る適切な疏明方法は存しない。

以上疏明される事実関係よりすれば、債務者会社は債権者会社の小田原線免許に対する代償として早雲山線において継続的な定期バス事業を経営せんとし、運輸省もまた同様の観点に立つて本件乗入運輸協定の締結方を両会社に対して慫慂し、債権者会社は止むなくこれに応諾するに至つたものと解せられるのであるが、これが協定書作成の経緯は前叙のとおりであつて債務者が主張するようになんらの議論もなく、単に東京都周辺その他において広く行われている事例をそのまま踏襲して作成されたとは到底考えることができないし、また協定書の原案作成若しくは協定書調印の際に当事者会社の前記代表もしくはその代表者間において協定書第十条はその記載の形式に拘らずなんら協定の有効期間を取決める趣旨でない旨特段の了解があつたというのであれば格別、なんらかかる特段の事情の窺れられない本件においては、前記協定書第十条は文字通り本件乗入運輸「協定の有効期間」を両当事者会社間において取決めた条項であると解するのほかわない。もつとも協定書冐頭末尾に「債務者会社の車輛を乗入れ一般乗合旅客自動車運送事業を経営するについて」云々と記載された部分のあること、同協定書第九条で本件協定の効力発生時期を債務者会社の強羅-早雲山駅間の鋼索鉄道の営業開始を実施した日としたこと、および同協定書附属覚書に債務者会社の定期バスの運転回数を夏期と冬期にわけて規定したこと等は、単に協定締結の頭初一応期間の更新が予測されていたことを示すにすぎず、またその後昭和三十年六月に至るまで債務者会社はもとより債権者会社からもなんら協定書第十条に基く意思表示がなされなかつたことも単にこれが事実上更新されたことを意味するにすぎず、これがため右協定書第十条が有効期間を規定したものではないと断ずるわけにはいかない。

債務者は「右協定書第十条は協定条項についての改訂期間として一ケ年を予定したものであつて、右協定成立当時と著しく事情の変更のあつた場合もしくは当事者が協定条項に違背する等の事情のない限り有効に存続するものとの合意が成立していたものである」旨主張するけれども、かかる合意が成立したとの点に関しては措信するに足る疏明方法はなく、また前叙認定の乗入運輸協定締結の経緯と協定の対象となつた自動車道が一般公道の場合と異りそれが債権者会社の私有道路であるという点などから考えれば、当事者会社が本件乗入運輸協定の有効期間を一ケ年更新とし、協定当事者の一方的な意思表示によつて解約できる旨の取決めをしたからといつて、これをもつてたゞちに乗入運輸協定の本旨に副わないものであると解することもできない。

更にまた債務者は、債権者会社は昭和二十九年七月東京地方裁判所に提起した行政訴訟において、本件乗入運輸協定が免許と実質を同じうするものであることを自認していた旨主張し、債権者会社が右のような行政訴訟を提起したこと、および同会社が右訴訟において同裁判所に提出した訴状中に債務者の主張するような記載があることは債権者の自認するところであるが、右のような記載をもつてたゞちに、債権者会社が本件乗入運輸協定締結の際に右協定を免許とその実質を同じうするものであると認めてこれを締結したものと断ずるわけにもいかない。

(債権者の廃棄通告について)

次に、債権者会社が昭和三十一年三月十日附内容証明郵便で債務者会社に対し両会社間の昭和二十五年四月十五日附協定書並びに同附属覚書にもとづく乗入運輸協定およびこれに関聯する一切の取決めは、昭和三十一年四月十四日限り将来に向つてこれを廃棄する旨の意思表示をなし、次いで同年三月十二日附内容証明郵便で右三月十日附内容証明郵便による通告中「昭和三十一年四月十四日限り」とあるを、「昭和三十一年六月三十日限り」と訂正する旨の意思表示をしたことは当事者間に争がない。

そして右内容証明郵便による債権者会社の廃棄通告が、前記協定書第十条にもとづく解約の申し入れとしてなされたものであることは、債権者の主張自体明白である。

(債務者主張の権利濫用について)

債務者は、債権者会社の前記解約権の行使は小涌谷-大涌谷-湖尻間の路線が同会社の一般自動車道であるのを奇貨として、一般公衆の利便も考えず、一般旅客自動車運輸事業を自社で排他的に独占しようとしてなされたもので、権利の濫用である旨主張するので考えてみるのに、右路線が一般自動車道であることは債権者の自白するところであるが、一般自動車運輸事業を債権者会社が一般公衆の利便も顧みず排他的に独占しようとして前記解約権を行使したとの事実を疏明するに足る疏明方法はなく、また乗入運輸協定は協定当事者の合意によつて締結された私契約であるから、協定当事者が解約権を行使することができないというわけにはゆかない。もつとも乗入運輸協定が交通機関の一貫輸送を確保し、一般乗客の利便に資するために認められた一つの制度であるという点から考えれば、これが一般公衆の利便を顧慮することなくみだりに廃棄さるべきでないことはもとより債務者主張のとおりであるが、前叙のとおり乗入運輸協定そのものは私契約であるという点から考えれば、協定当事者の一方に債務不履行がある場合には、相手方は民法第五四一条によりこれを解除することもできるし、また前記協定書第十条後段のように当事者の一方に解約権を留保した条項のある場合には、解約するに足る相当の理由があれば、当事者の一方は右解約権を行使することもなんらさまたげないものと解するのが相当である。そこで債権者会社に前記解約権を行使するにつき相当の理由があつたかどうかについて考えてみるに、成立に争のない疏甲第二十五号証の一ないし八、同第四十七号証、同第四十八号証の一、二、同第四十九号証、同第五十一号証の一ないし六、同第五十七号証、同第六十七号証、同第七十三号証、同第七十四号証の一ないし三、同第七十五ないし第七十九号証、疏乙第三十一号証、同第三十二号証の一ないし三、右疏甲第七十四号証の二の供述記載により真正に成立したと認める疏甲第二十一号証の一ないし五、右疏甲第七十八号証の供述記載により真正に成立したと認める疏甲第五十九ないし第六十一号証の各一、二、右疏甲第七十五号証の供述記載により真正に成立したと認める疏甲第六十二ないし第六十五号証の各一、二を綜合すれば、

(一)、債務者会社は昭和二十五年五月十九日運輸大臣に対し前記乗入運輸協定ならびにそれに附属する覚書の認可を申請し、同年六月二十七日附で右認可を受け、同年七月一日から小涌谷-早雲山-湖尻間の定期バス事業を開始したものの、同日から右認可申請の際、申請書に添付して提出した事業計画書に記載した発着時刻や運転回数を遵守せず、また翌二日頃からしばしば債務者会社の定期バスは本件乗入運輸協定に定められたバス路線の終点である足柄下郡箱根町大字元箱根字旧札場一一〇番の三四地先に停車しないで、それより約四百七十米先の桃源台まで運行するようになつたが、これよりさき債務者会社は昭和二十五年三月十日頃箱根観光船株式会社を設立し、債務者会社の代表者が箱根観光船株式会社の代表者を兼務し、同会社は右桃源台に船舶発着所を設け、同年七月十一日頃から芦の湖上に約十九屯の遊覧船を運航するようになつた。これがため債権者会社が本件乗入運輸協定締結当時予想していた早雲山方面から債務者会社の定期バスで運んできた乗客は、ほとんど債権者会社の船舶に乗船しないで、箱根観光船株式会社の船舶に乗船するようになつた。そこで債権者会社は、同年九月十二日前記牛島局長ほか、東京陸運局長ならびに神奈川県陸運事務所長宛に債権者会社の右事業計画違反および湖尻無停車による協定違反の是正勧告方を上申するとともに、債務者会社に対しても直接その是正方を申し出で、その後も度々同様の申し出でをしたが、債務者会社は一向これを是正しようとしなかつたので、再び昭和二十五年十一月七日前記神奈川県陸運事務所ならびに東京陸運局長宛前回同様の勧告方を上申し、更に昭和二十七年七月二十七日東京陸運局長宛に事業計画違反の取締方を上申した。しかしその後も債務者会社は依然事業計画どおりの運転をせず、また昭和二十九年六月七日頃まで湖尻において停車しなかつたこと、

(二)、債務者会社は、運輸省自動車局長の勧奨があつたとはいえ、前段で認定したとおり、債権者会社が強くその小涌谷-湖尻間の一般自動車道への定期バス免許申請に反対しているにかかわらず、本件乗入運輸協定締結後二年数ケ月を経過したに過ぎない昭和二十七年七月二十九日再び運輸大臣に対し右一般自動車道に対するバス路線の免許を申請したこと、

(三)、債権者会社は前段で認定したとおり運輸省の牛島局長や磯崎監理課長らから本件乗入運輸協定の締結方を勧奨された際、同人らが本件乗入運輸協定を締結すれば、債務者会社の定期バス運行による通行料金のほかに、右定期バスによつて運んで来た乗客は湖尻で下車し、当然債権者会社の船舶に乗船することとなり、その船賃収入として相当の収益がある旨話されていたため、本件乗入運輸協定成立の暁は、当然債務者会社の定期バスはその事業計画通り運行し、附属協定覚書で定められた通行料金は勿論、そのほかに湖尻における相当の船賃収益があるものと期待していたにかかわらず、債務者会社の定期バスは前叙のとおり事業計画通り運行せず、また湖尻においても停車せず、乗客を箱根観光船株式会社の船舶発着所まで運んだため、湖尻における債権者会社の船賃収入も予想通り入らなかつた。そこで債権者会社は昭和二十七年七月下旬頃静岡地方裁判所沼津支部へ債務者会社を相手方として契約金等請求の訴訟を提起したこと、

(四)、債務者会社はその後、債権者会社の前記小田原線の運転回数および無停車の制限が全面的に解除されるや、昭和二十七年九月二十二日債権者会社を相手方として横浜地方裁判所小田原支部へ同会社の小田原-湖尻間の直通定期バスの運行を早雲山駅において中断しようとして「同駅を中心に一つは大涌谷方面へ、他は小涌谷温泉場方面への振分け運転をなすか、または小涌谷にて乗換えをなさしめるべし」との仮処分命令を申請し、債権者会社の一般乗合旅客自動車による一貫輸送を妨害しようとしたこと、

(五)、債権者会社は、債務者会社がその後も依然前記(一)のような違反行為を繰り返していたため、昭和二十九年三月十一日債務者会社を相手方として横浜地方裁判所小田原支部へ一般乗合旅客自動車の運転系統外運行禁止等の仮処分命令を申請し、同裁判所は同年六月七日債務者会社に対し一般乗合旅客自動車の前記湖尻-桃源台の運行をしてはならない旨の決定をなし、これがため債務者会社は一旦その運行を中止したが、同年八月頃から債権者会社の湖尻船舶営業所直前で債務者会社の定期バスの乗降口を前記箱根観光船株式会社のサービスカーと称する自動車の乗降口に接着させて前車の車で運んできた乗客をほとんど全部後者の車に移乗せしめるという方法で、右乗客を前記桃源合まで運んで行き、同所で箱根観光船株式会社の船舶に乗船させたこと、

(六)、右箱根観光船株式会社は、債権者会社とともに昭和二十九年夏頃関東海運局長から船舶の新造を自粛し、不当な競争をさけるよう要請され、その頃両会社ともこれを受諾する旨約しておきながら、箱根観光船株式会社は突然昭和三十一年春頃百二十屯の大型船舶を建造し、同年四月二十九日から芦の湖上の旅客輸送を開始したため、前記サービスカーの運行とともに、湖尻における債権者会社の船舶収入は同会社が本件乗入運輸協定締結当時予想した収入よりますます減少したこと、

などの事情から、債権者会社が前記協定書第十条にもとづいて、前叙のとおり解約権を行使するに至つたことが疏明されるのであり、他にこれをくつがえすに足る適切な疏明方法は存しない。

してみれば、債権者会社が前記解約権を行使するに至つたのは、債務者会社および前記箱根観光船株式会社が前叙のような各行為に出たことに起因しており、これらの事情は債権者会社が前記解約権を行使するにつき相当の理由となるものといわなければならない。もつとも債権者会社の解約権の行使により、債務者会社が営業上相当の打撃を受けるであろうことは容易に想像されるところであるが、これには右のような理由が原因となつており、いわば債務者会社や前記箱根観光船株式会社が、債権者会社をして右解約権を行使せしめるように自らしむけた結果であるといえないでもないし、また前記路線には債権者会社の定期バスが運行していることは債務者会社の自認するところであるから、債務者会社の定期バスが運行しなくなつたため、一般旅客に多少の不便はあるかも知れないが、これがため交通機関が杜絶するというようなこともない本件においては債権者会社の前記解約権の行使が、公共の福祉に反するともいえない。したがつて債務者の権利濫用の主張は到底採用できない。

してみれば、本件乗入運輸協定は債権者会社の前記解約申し入れにより適法に解約され昭和三十一年七月一日以降その効力を失つたものといわなければならない。

(債務者のその他の主張について)

なお債務者は本件乗入運輸協定は運輸大臣より道路運送法第二十三条(現行第二〇条)にもとづいて免許と同様に一般公衆の利便を増進するものとしてその認可を受けたもので、免許の場合と同様にその自動車運輸業を休廃止するには行政庁の認可を必要としほしいままに私契約をもつて事業を休廃止し得ない旨主張するけれども、乗入運輸協定の認可は路線免許とは本質的に異り、主務大臣の認可さえうければ自動車運送業者は他の自動車運送業者との自主的契約によつて他人の路線に自己の車輛を乗入れ、運行することができるというにすぎず、他人の路線上に自己の車輛を運行せしめうる地位はその乗入運輸協定に附随して生ずるもので、協定によつて発生し、協定によつて消滅すると解するのが相当である。したがつて本件乗入運輸協定に対する運輸大臣の認可も、右乗入運輸協定の解約と同時にその効力を失つたものといわなければならない。

更に債務者は、債権者会社は一般自動車道の経営者としてなにびとに対しても道路運送法上に定められた場合を除くほか、その供用を拒絶することはできない旨主張するけれども、前記運輸大臣の認可は前段説示の通りその基本となる本件乗入運輸協定が昭和三十一年七月一日以降失効しており、その後において債務者会社があらかに右自動車道について定期バス運行のための路線免許ないし認可を受けたことの主張立証のない本件においては、債権者会社は道路運送法第六十五条第五号、第四条、第十二条にもとづいてその供用が法令の規定に反するものとして右自動車道に対する債務者会社の一般乗合自動車運送事業のためのバスの運行を拒絶しうることは明らかである。

したがつて債務者の右主張はいずれも理由がない。

(仮処分の必要性について)

成立に争のない疏甲第十四号証と本件口頭弁論の全趣旨を綜合すれば、債権者会社は昭和三十一年七月一日以降その経営の前記一般自動車道への債務者会社の定期バスの運行を禁止しており、債務者会社は一般乗合旅客自動車運送事業のため定期バス運転を行わんとしており、このまま放置しておけば両者間において衝突し、交通秩序が何時破壊され、いかなる結果が発生するか測り知れないような情勢にあることが一応認められるので、その余の必要性を判断するまでもなく債務者に対しその定期バスを前記一般自動車道において運行することを禁止する必要があつたし、また今後もその必要があるものと考えられる。

(結論)

そこで当裁判所は、債権者提出の以上の疏明を補充する趣旨において債権者に債務者のため保証として金一千万円またこれに相当する有価証券を供託することを条件として、本件につき当裁判所が昭和三十一年七月六日なした仮処分決定を認可し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十五条本文第八十九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 雨宮熊雄 藤本忠雄 可部恒雄)

協定書

駿豆鉄道株式会社(以下甲と称す)と箱根登山鉄道株式会社(以下乙と称す)とは甲の免許路線中小涌谷(神奈川県足柄下郡温泉村底倉字小涌谷四九三番地先)から早雲山駅-大涌谷-湖尻(神奈川県足柄下郡元箱根村旧札場一一〇ノ三四番地先)間延長九・六粁に対し乙の車輛を乗入れ一般乗合旅客自動車運送事業を経営するについて左の条項を協定する。

第一条 甲は乙が甲の免許路線中小涌谷-早雲山駅-大涌谷-湖尻間に乙の車輛を乗入れ一般乗合旅客自動車運送事業の経営を行うことを承認する。

第二条 前条乗入れ運転区間の運賃料金は甲が普通運賃率に山間及び道路使用料金等の割増を加算して認可を受けたる運賃料金と同額とする。

第三条 乙は乗入れ運転区間の停留所の位置について甲と協議の上決定する。

第四条 乗入れ運転区間に対する乙の車輛運行に要する経費は総て乙の負担とする。

第五条 乗入れ運転区間に於ける乙の車輛に依る運賃料金収入は乙の取得とする。

第六条 本協定の実施に必要な事項は甲、乙協議の上別途にこれを定める。

第七条 本協定に関する権利義務は相手方の承諾を得なくては第三者に譲渡することは出来ない。

第八条 法律、命令又はこれに基く監督官庁の指示により本協定乃至本協定に附随する覚書事項の全部又は一部が無効に帰し若しくはその条項の変更を余儀なくされる場合があつても相互に損害の賠償その他何等の要求をすることができない。

第九条 本協定の効力発生期日は強羅駅-早雲山駅間鋼索鉄道の営業開始を実施した日とする。

但しその日までに本協定に対する主務大臣の認可がなかつた時はその認可のあつた日とする。

第十条 本協定の有効期間は効力発生の日から一ケ年とし期間満了前一ケ月前までに甲、乙の一方より何等の意思表示を為さない時は更に一ケ年間継続するものとしその後はこの例に依る。

第十一条 本協定の解釈に疑義を生じたる時は両者協議の上之を決定する。

本協定の証として本書参通を作成し壱通を監督官庁に提出し各々その壱通を保有する。

昭和二十五年四月十五日

駿豆鉄道株式会社

専務取締役 大場金太郎

箱根登山鉄道株式会社

取締役社長 河合好人

図<省略>

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